ニガテを “半分、強い” に。山梨県中央市の税理士

田中雅樹プロフィール

ラジオ収録前で緊張する様子です。

税理士 田中雅樹(たなかまさき)

「ひとり社長」「ひとり親方」「フリーランス」など、中小零細で商売されている方がたのお手伝いをしています。
同じ“ひとり”という立場だからこそ、どちらが上でも下でもない、パートナーとしてサポートいたします。

 

大事にしていること

「会って話す」ことを大事にしております。
たとえば、継続的なご契約である税務顧問については、

  • 毎月
  • 二か月に一度
  • 半年に一度

“ZOOMなどで話をさせていただく”
“直接会ってお話しさせていただく”
ことを条件とさせていただきます。

※半年に一度は、次のような方向けです。

  • 普段はメールのやりとりでOKな方
  • 申告期以外は会いたくない方

単発のご相談は、ネット会議システム「Zoom」でも承っています。

 

 

お手伝いできること

  • freee(その他経理ソフト)導入サポート
  • 申告書作成・その他書類の作成(またはサポート)
  • 仕事に必要なパソコン操作のサポート
  • Excelのつかい方サポート(Excel初心者の方むけ)
  • 確定申告書(個人)をご自身で作るためのサポート
  • 法人税申告書をご自身で作るためのサポート
  • 「年末調整」「法定調書」「償却資産税申告」作成のサポート
  • 税務調査立ち会い(または、ご自身で対応するための事前打ち合わせ)

 

メニュー

  • 個別コンサルティング
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  • その他限定メニュー

「田中まさき税理士事務所」サイトへ

 

 

細かいプロフィール

出身

山梨県中央市(旧玉穂町)生まれ、中央市育ち。

血液型

B+

住んだことがある場所

  • 山梨県中央市(旧玉穂町・旧田富町)
  • 東京都新宿区中落合
  • 神奈川県秦野市
  • 神奈川県横浜市旭区
  • 神奈川県横浜市保土ヶ谷区
  • 東京都板橋区蓮根
  • 東京都杉並区方南町

スポーツ(ホビーレース参加歴のあるもの)

  • マラソン・ハーフマラソン
  • ロードバイク(ヒルクライム、ロングライド)

学生時代の部活動経験

  • 卓球
  • 弓道

著作

 

苦手なもの

  • タバコ
  • データ入力
  • 記帳代行(経理自体は得意です)

好きなマンガ

スラムダンク、リアル、ジョジョの奇妙な冒険シリーズ、ハイスコアガール、僕だけがいない街、3月のライオン、僕たちがやりました、桜玉吉、グラゼニ、亜人、進撃の巨人、ワールドトリガー、ダイヤのA、宇宙兄弟、GANTZ、静かなるドン、冨士山さんは思春期、猫のお寺の知恩さん

略歴

0歳(1975年・昭和50年6月4日生)
山梨県中央市生まれ、山梨県中央市育ち。
4100gで誕生。小さいころからでかかった。

 

7歳(1982年・昭和57年)
小1のとき、将来就きたかった職業は学校の先生。
他に職業を知らなかったからだと思う。

 

8歳(1983年・昭和58年)
ガンダムの再放送で、ガンダムブームがすごかった。
残念ながら当時はNHKと県内放送局しかテレビが映らず、ちょっと乗り遅れ気味に。
ヒーローは「シャア」。
人より字がうまく書けたので、書道を習いだす。(小6で引退。)

 

9歳(1984年・昭和59年)
そろばんを習いだす。
そのおかげか、大学入試までずっと、算数・数学は得意科目に。
小3のときの担任が竹刀を持っていた。
(時代を感じます。)

 

10歳(1985年・昭和60年)
ファミコンを買ってもらう。
このファミコン本体で22歳くらいまで遊ぶ。
(小学生にクリアできない理不尽なゲームたち(スぺランカーなど)を、大学生になってようやく何本かクリア。)

 

11歳(1986年・昭和61年)
小5から、委員会の活動と、○○部という活動があった。
委員会はどこだったか忘れたが、部のほうは将棋部に所属。
めちゃくちゃ弱くて、よく負けていた(笑)
いつも負けていた相手に、20手ほど連続王手をかけて、初勝利したのは今でも覚えている。
(まぐれで詰みまでもっていけた。)

 

12歳(1987年・昭和62年)
小6のときに「税理士」という職業を知る。
(まさか自分がそうなるとは思わず。)
このころ友人たちは、「弁護士」、「医者」、「プロスポーツ選手」と言っていた記憶あり。
(小6ではなく小5のときに、「将来の仕事は銀行員」と書いた記憶がある。が、友人に流されただけで本音ではなかったです。)
音楽委員会と科学クラブに所属。
音楽委員会は月曜日の全校集会で演奏担当をせねばならず、けっこうな苦痛だった。
(担任にお願いされて入ったが、安請け合いはするもんじゃないと思った。)
科学クラブは、毎週だったか月一だったか忘れたが、いろいろ作れて楽しかった。

 

13歳(1988年・昭和63年)
初めての部活動は卓球部。
県内でも一番かも知れないというくらい弱小で、学校中からバカにされる部であった。
でも楽しかった。
サッカー部のやつに卓球で負けたことあり(笑)

 

14歳(1989年・昭和64年、平成元年)
数学以外の成績が悪すぎたので、このあたりから理科もマジメにやるようになった。
「宇宙」関係が大好きで、その部分の教科書とサブテキストを暗記するほど毎日読んだ。
その流れ?で、理科が得意に。
(でも、高校以降の「物理」は苦手。)

 

15歳(1990年・平成2年)
中3。
一番の親友はとてつもなく成績のいいやつだった。
軟式テニスの腕前も県内でトップクラス。
(成人して以降は顔も見ていない。どうしてるかなぁ。)

 

16歳(1991年・平成3年)
高1。部活は弓道部。
部活は1年で辞めてしまった。
(体格のせいで、ラグビー部からしょっちゅう熱い視線をもらっていた。)
辞めてから行くようになったのはゲームセンター。
「ストリートファイター2ダッシュ」、「バーチャファイター」が大流行。
(今のプロ格闘ゲーマーたちは、このころから夢中で練習していたんでしょうね。)
進学校なのに、かなり勉強サボってました。

 

17歳(1992年・平成4年)
高2。
勉強サボりすぎで、1学期の成績はなんとクラスでビリ…
理系全体では、下から2番目の成績をとってしまった。
赤点も3つくらい取ってしまい、1学期にして留年のピンチが。
2年から社会科は、日本史・世界史・地理のいずれかひとつを選択することになるが、選択した「世界史」で苦戦した。
ちなみに一番タイヘンなのは「日本史」。
世界史はわりとラクな部類に入るらしいが、わたしにはもっとラクな「地理」がピッタリだったがあとの祭り。

 

18歳(1993年・平成5年)
高3。
成績はクラスで半分くらいまで上がった。
(それでも悪い。)
大学入試は、かなり偏差値低い大学で補欠ひとつ。
担任に「浪人します」と伝えたら、キレられた。
高校3年間で、UFOキャッチャーなどのクレーンゲームに自信を持った。

 

19歳(1994年・平成6年)
大学浪人。
今はなき「両国予備校」へ。
基本的には全寮制をうたっている予備校だったが、しんどそうだったので、ワンルームマンションに住んだ。
混雑する電車がキライだったため、東中野駅から朝7時くらいの電車に乗って通学。
(思えば、このころから勉強は朝型だった。)
実力別クラスが良かったようで、成績アップ。
大学入試は、6戦4勝2敗(1補欠)。
テレビ無し生活で、ラジオが大好きに。

 

20歳(1995年・平成7年)
大学入学。
パソコン(というより、計算機?)に初めてさわった。
FORTRANを習った。
大学1年の春休みの実家帰省中に、地元(玉穂町)主催のパソコン教室で、タッチタイピングマスター。
最初に「正しいクセ」をつけることができたのは大きい。
そういえば、この時代の「成人式」は、大学生にはきびしい日程であった。
式典終了後、すぐ神奈川県秦野市のアパートに戻り、翌日からの後期のテストに備えた。

 

21歳(1996年・平成8年)
大学2年の実家帰省中、みっちり地元企業でアルバイト。
そこで偶然中学校時代の先輩と再会し、楽しかった。
高校の後輩ともいっしょになり、俳優の柏原兄弟の弟のほうが後輩だと知る。
(だからナニ?という話しでした。)
大学在学中は、これ以降バイトせず。
C言語、あえて単位を落とすことにした。

 

22歳(1997年・平成9年)
大学4年までバイトはやらなかったが、その分大学によく行った。
単位はややゆったり目に取っていったので、3年後期まで講義を受けていた。
結果論だが、退屈せずに済んだと思う。
C言語をマジメにやりなおした。
ここでやっていたおかげで、4年の卒業研究を仕上げられたと思う。

 

23歳(1998年・平成10年)
4年になったら研究室が楽しくて、やることがなくても行った。
失敗だったのは、法律系か経済学の単位をとらなかったこと。
おかげで税理士試験の受験資格を得られず、将来、日商1級(不合格)と全経上級(合格)に挑戦するハメに。
でも、簿記論の良い予行演習になった。

 

24歳(1999年・平成11年)
横浜市の企業に就職。(世の中はITバブル)
SEとしての採用のはずが、文書管理の部署に。
おかげでMicrosoft Wordには強くなった。
仕事がつまらなかったのでマラソンを始め、26歳までの間に、フルマラソン2回、ハーフマラソンは4回くらい、市民マラソンの大会に参加。
フルマラソン2回のうち1回は、雨のレースだった。
25歳のときに人生初のスポーツクラブ入会。

 

25歳(2000年・平成12年)
新宿にある「メディウス」という会社にやられました。
「人財育成」という名目だが、いわゆるネズミ講と言っていいようなもの。
人生の中でも、かなり苦い経験だった。
「世間知らず」、「情報弱者」はたかられる。
おかげで、この手の商売?についてはかなり詳しくなった。

 

26歳(2001年・平成13年)
新卒入社の会社を2年5か月で退社。都内へ。
マンション販売の会社で3か月(アルバイト)働いて、
その後、事務機器(コピー機、ビジネスフォンなど)販売の会社へ。
メディウス退会。

 

27歳(2002年・平成14年)
事務機器の会社で、営業から管理部へ。
終電帰りの日々。

 

28歳(2003年・平成15年)
12月の賞与に衝撃を受けて、退職を決意。
翌年2月までということを上司に伝えて、同3月退職。
(そうカンタンには辞めさせてくれないので、「大学院に進学」という理由で。円満退社したかったのでウソつきました。ごめんなさい。)
めちゃくちゃな会社だったが、働いている「人」はおもしろい人ばかりだった。
ちなみに、マンション販売の会社は、辞めてから1年以内に倒産していたらしい。

 

30歳(2005年・平成17年)
税理士試験を初受験。(→「簿記論」に合格)
山梨県内で初就職。職種も初の会計事務所。
記帳代行・データ入力ばかりだったが、未経験で雇ってくれた事務所には感謝しかない。
意外と新卒入社した会社時代のWord経験が役に立った。

 

37歳(2012年・平成24年)
税理士試験、再挑戦開始。
7年ぶりの科目合格(財務諸表論)だった。
再挑戦までの間(31から35歳くらいまで)は、ロードバイク(自転車)で主に山梨県中を走っていた。
ヒルクライム、ロングラインドなどのイベント出場多数。
(どうやら、仕事に慣れてくると体を動かしたくなる性分らしい。)

 

38歳(2013年・平成25年)
「税理士にならなくてはこの業界にいる意味がない」と思い、事務所を辞める。
専念で税理士受験生になる。
何かの本で、
「2年くらい働かなくてもやっていける備えがあるなら、受験に専念するのも手」
と書かれていたことにも背中を押された。

 

39歳(2014年・平成26年)
法人税法に合格。
最初の税法が、一番ボリュームのある「法人」で良かった。
後まわしにしていたら、どうなっていたか。
(タラレバですが。)
8月の試験会場は、東北の震災後初の「早稲田大学」。

 

40歳(2015年・平成27年)
12月、消費税法に合格。
(相続税法は不合格。。)
8月の試験、「消費」は開始時間が遅いので、受験日当日に山梨を出発。
前日から、「電車がおくれたらどうしよう」
当日出発前も、「電車がおくれたらどうしよう」
と、不安になってしまった。
地方の人は前日入りをおススメします。
(「合格したら独立しよう」と本気で思うようになったのはこのころ。)

 

41歳(2016年・平成28年)
12月、相続税法・国税徴収法に合格で、税理士試験に合格。
長かった。(;´Д`A “`
8月の相続税法・国税徴収法の試験は、ともに12時試験開始。
前年の不安があったので、おとなしく都内に前日入りしました。
「大隈重信」像に、
“大隈先生、今回で最後です”
と、相続の試験前、国徴の試験前に一回ずつ言った。

 

41歳(2017年・平成29年)
2月、税理士登録のための申請書を提出。
最短で、4月中に登録になるみたいです。
書類集めがめんどうだが、がんばって1月中に提出すべきでした。

 

42歳(2018年・平成30年)

 

 

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